平野啓一郎さんの小説は、マチネの終わりに以来でした。
今回も、あの細やかな描写は健在で、なんて丁寧に目に見えないものを繊細に言語化してくださるのだろうかと、しみじみ感動しました。
物語は、弁護士である主人公が担当した家庭裁判で出会った女性が、ひょんなことから思わぬ事件に遭遇することから始まります。
主人公は自身のアイデンティティの揺らぎや人生の幸福を自問しながら、この事件が持つ不思議な魅力に沼っていくのですが、その姿はまるで読者が夢中でこの小説のページをめくる動機と似ているようで、とても興味深かったです。
事件の足取りを探っていくと、思わぬ事実や憲法の問題に出会うことになるのですが、それがまた、じわりじわりと不気味で、怖かったです。
(アテクシは途中、家では怖くて読めなくなるという事態が発生しました😅)
何が怖かったのかといえば、(今の私にとって)それは遠い世界での出来事ではあるけれど、しかし確実に私の日常生活のどこかの延長線上で今も起きていることなのだという事実を突きつけられたからかもしれません。
知らなかった無知な自分を恥じる気持ちと、知りたくなかったという逃げ出したい気持ちが入り混じるような、ザワザワした気持ちを感じました。
「わたし」とは一体誰なのか?
平野さんの「分人」という考え方、面白いですね。
昔の日本人は昇級したり役職が変わる時に、名前が何度も変わったといいますが、現在の私たちは結婚によって苗字が変わることはあっても、基本的には1つの名前を生き続けています。
このことが持つ意味と、憲法によって犯罪の罪が「個人」に委ねられることは、もしかしたら繋がっている問題なのかもしれないなと、読みながら感じました。
物語の余白を残したままストーリーはエレガントに終わりました。
名前やアイデンティティのこと、戸籍や法律のことなどなど、色々考えさせられる物語でしたが、と同時に、とても清潔感のある優しい物語でした。
ある男
▶︎ これまで漠然とモヤモヤ感じてきたことや、社会の中でのフシギナデキゴトや憤りみたいなものが、平野さんの文章を読むことで不思議と癒される感覚がありました。それは、「そう感じているのは君1人ではないよ」と言ってもらえたような安心感にも似ていたのかもしれません☺️
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
▶︎ 平野さんの分人という考え方、面白いですね。
マチネの終わりに (文春文庫)
▶︎ 清潔感のある恋愛物語でした☺️ アテクシの感想はコチラ