前回に引き続き、ホリエモンこと堀江貴文氏の本でございます。勝手なイメージですが、アテクシの中では弁が立つ印象があったホリエモンさんですが、前回の本「好きなことだけで生きていく」(出版された順序としてはこっちの「本音で生きる」の方が先です)を読んでみて、意外と(勝手な思い込みです)論理的ではなく、感情論的(ホリエモン節)なところが目立ち、そこにアテクシは勝手に人間臭さと魅力を感じておりました(笑)そういえば、以前TVで見かけた堀江氏は、メンタリストDaigoさんの心理ゲームに慌てていた様子で「おっ、蠍座の男性!」といった(完全なるステレオタイプです、笑)好感度も上がりました(笑)
内容としては前回の本と言っている事は基本同じなのですが、今回この本を読んで、ふと思い出したエピソードがありました。確かウルフルズのウルフルケイスケさんのインタビューで、チョッパーさんが再び復帰するにあたってのエピソードだったと思うのですが、インタビューの中でウルフルケイスケさんは、その時チョッパーさんと自分を近づけるきっかけとなった無駄話の価値について語っていました。お酒を飲みながらする、何てこと無い会話、くだらない話とか、いいよね、と。解散のこと、過去のこと、そういうことを直接語り合うんじゃなくて、家族元気?とか。そういう、何てこと無い会話が人と人を近づける、と。確かそんなエピソードだったと思います。これを知った時も「お〜、なんて大らかなんだ!」と思ったものです。非言語を介したコミュニケーションで、互いを察し合う、ということ。
一方のホリエモンの合理的に生きる選択は、とても言語的なコミュニケーションを重んじているなぁと思いました。彼の選択の仕方は、1度に多くの事を抱えて選択し続けなければいけない者にとって、きっと生産的だと思いますし、仕事面で私も大切にしたいな〜と思う所が沢山ありました。
でも、無駄か、必要か、の判断って、本当に人それぞれだな〜とも思います。きっと無駄話や世間話の酒飲みは、堀江さんにとっては「無駄」かもしれませんが、ウルフルケイスケさんにとってはきっと「必要」でしょうし。これはどちらが正しいとか間違っている、と決して決めつけられないもので、結局のところ「人それぞれ」なのだろうと思います。
一体何を大切にしながら生きているのか。人生のバックビートによって、日々の選択は本当に1人1人の手に委ねられています。ただうっすら個人的に感じていることは、何かを1つの価値観だけで全て統一しようとするのは、恐らく、それが1人の人間の人生た生活、組織や、国だったとしても、中々続けるのは難しいのではないかな〜ということ。
多分、多様性とバランスなのではないかな、と個人的には思うのです。いいとこどり、ケースバイケース、臨機応変、柔軟性(笑)アテクシはそんなことを考えながら読みました。